2012年06月17日
しかみの家康
徳川家康が自ら絵師に描かせた自我像の掛け軸のことで、しかみ像とも呼ばれています。
家康が三方原の戦いで 武田信玄の挑発に乗ってしまい、大敗をきし命からがら浜松城に逃げ戻ったが、その際には恐怖のあまり馬上で脱糞したとも言われる。
その時の恥ずかしさをわすれないぞ、と情けない顔を肖像画として生涯自分の側に置いたと言われています。
徳川美術館でみられます。掛け軸も売ってます。
しかみとは、辞書ではしかめっ面をすること、とありますが、[しっかり、かがやく、みらいのための]と、訳していた会社はすばらしい。
家康が三方原の戦いで 武田信玄の挑発に乗ってしまい、大敗をきし命からがら浜松城に逃げ戻ったが、その際には恐怖のあまり馬上で脱糞したとも言われる。
その時の恥ずかしさをわすれないぞ、と情けない顔を肖像画として生涯自分の側に置いたと言われています。
徳川美術館でみられます。掛け軸も売ってます。
しかみとは、辞書ではしかめっ面をすること、とありますが、[しっかり、かがやく、みらいのための]と、訳していた会社はすばらしい。
Posted by ネットワーク(株) at 19:07│Comments(0)
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